祇園祭 山鉾巡行 2

2010年7月17日 撮影


BGM by Areyou鮎



月鉾(つきほこ) 鉾頭に新月をつけ、「天王座」には月読尊を祀る。屋根裏の草花図は円山応挙筆、前懸のメダリオン絨毯は
十七世紀インド製の優品。軒桁、四本柱等の飾金具はいずれも見事なものである。







占出山(うらでやま) 神功皇后(じんぐうこうごう)が、肥前の国松浦で鮎を釣って戦勝の兆としたという故事による。
前懸と胴懸は日本三景を描いた逸品。安産のお守り授与。





芦刈山(あしかりやま) 故あって妻と別れて難波の浦で芦を刈る老翁がやがて妻との再会をはたす夫婦和合の姿をあらわす。
御神体の古衣装は天正銘の小袖で重要文化財指定。




手前から「保昌山」「放下鉾」「岩戸山」
保昌山(ほうしょうやま) 平井保昌が、和泉式部のために紫宸殿の紅梅を手折ってくる姿をあらわしている。
前懸と胴懸は円山応挙下絵の逸品。縁結びのお守り授与。




手前「岩戸山」と「放下鉾」
放下鉾(ほうかほこ)  鉾の名は「天王座」に放下僧(ほうげそう)を祀るのに由来する。鉾頭は、日・月・星三光が下界を照す形をしている。
新下水引は、華厳宗祖師絵伝を下絵にした綴織。





手前から「船鉾」「岩戸山」「放下鉾」
岩戸山(いわとやま) 天照大神(あまてらすおおかみ)の岩戸隠れの神話から取材したもので,天照大神、
手力雄尊など三体のご神体を祀るが、伊弉諾尊は屋根上に安置している。曳山である。




船鉾(ふねほこ) 神功皇后(じんぐうこうごう)の説話が由来で,「出陣の船鉾」の別名を持つ。鉾全体を船の形にしている。
舳先(へさき)には金色の鷁(げき)と呼ばれる想像上の瑞鳥を,船尾(とも)には飛龍文の舵をつける。
巡行のとき鉾の上には神功皇后と三神像を祀る。安産のお守り授与。




放下鉾の辻まわしと岩戸山




岩戸山の辻まわしと船鉾


これより後祭の巡行列




北観音山(きたかんのんやま) 後祭りの先頭を行く山で,「上り観音山」(のぼりかんのんやま)とも呼ばれる。
楊柳観音像(ようりゅうかんのんぞう)と韋駄天立像(いだてんりつぞう)を安置する曳山。
見送の紅地百子嬉遊図は十七世紀中国明朝の優品。観音懺悔にちなみ柳枝を付ける。







橋弁慶山(はしべんけいやま) 弁慶と牛若丸が五条大橋で戦う姿をあらわしている。
これらの人形には永禄六年の古い銘があり貴重である。




役行者山(えんのぎょうじゃやま) 修験道の祖、役行者が一言主神(ひとことぬしのかみ)を使って、
葛城と大峰の間に石橋をかけたという伝承による。見送は中国唐美人図錦綴と龍図絽刺の2種類である。




八幡山(はちまんやま) 八幡宮を山の上に勧請したもので、その小祠は江戸時代の
天命年間製作になる総金箔の美麗なものである。




黒主山(くろぬしやま) 歌人大伴黒主が桜の花をあおぎ眺めている姿である。
御神体は寛政元年の作。前懸は中国の雲龍文綴錦である。




鈴鹿山(すずかやま) 伊勢の国鈴鹿山で、人々を苦しめた悪鬼を退治した鈴鹿権現を女人の姿であらわしている。
胴懸は中国清朝時代の作品で,中国故事人物図を繋ぎ合わせて作った屏風綴幔幕。




浄妙山(じょうみょうやま) 宇治川の合戦で、三井寺の僧兵筒井浄妙と一来法師の奮戦の一瞬を見事な人形組でとらえている。
町内所有の鎧(黒韋威肩白胴丸)は室町時代の作品で重要文化財。







鯉山(こいやま) 中国の龍門の滝を上る鯉の勇姿をあらわしている。 前懸・胴懸(2枚)・水引(2枚)・見送等は
「イリアツド」物語の場面を描いた十六世紀の毛綴で重要文化財。




南観音山(みなみかんのんやま) 楊柳観音像と脇侍の善財童子像を祀る曳山で柳枝を付ける。新しい見送りは
加山又造筆の龍王渡海図。他にペルシャ絨毯の貴重な旧前懸がある。