2003年神戸
平成7年、初めての冬。あの頃、神戸はまだ大震災の渦中で街は、復興へ向けながら1年間が過ぎ去ろうとしていた。そんな中、傷ついて暗く深い闇の中にいた私達の心をそっと静かに包んで温めてくれた。あれから早9年、鎮魂と復興への夢と希望を願い、始まった光のイベント。今年も「光の地平線(オリゾンテ)」のテーマで、神戸の希望の光として、まちと人を照らされた。光の街・神戸。1000万ドルの星屑を散りばめたような神戸の夜景は、復興のあかしだ。しかし人々の心の中にはまだ輝きが戻らない人が居る事も事実。
「希望のプレリュード」・・・大正・昭和初期の建物が残る旧外国人居留地を、東西に横切る「光の回廊」(ガレリア)の入り口、フロントーネ(光の玄関装飾)高さ21m幅20m 右の写真はショーウィンドウに映ったフロントーネ
さあ!フロントーネをくぐってガレリアへ〜! 「記憶の旅」・・・「光の回廊」の途中です。長さ約270m・21基のアーチ(フロントーネも含む)
これも「光の回廊」の途中です。角度を変えてみました。
いよいよ出口に近付いてきました。右は「光の回廊」を東遊園地側から見た写真です。
「連なる地平線」・・・「光の回廊」をくぐり抜けると、東遊園地にはひときわ映える「光の壁掛け」(スパッリエーラ)直径42m最高部22mの円形状が迎えてくれました。
「光の壁掛け」です。
同じく「光の壁掛け」です。内に入ってみた。
内からもっと近づいてみました。
名残惜しいが・・・・・・。
「光のオアシス」・・・東遊園地の東小道に、こんなのが、高さ9m幅4m11基
「光のオアシス」・・・神戸市役所の南前にもこんなのが、高さ11m幅7m3基
神戸市役所24階展望ロビーからだよ。夜景も綺麗だし・・又違った感動を受ける!
「蜃気楼」・・・JR新神戸駅前南の連なるさまざまな「光の壁掛け」を7基配置、高さ10m長さ41m
朝の9:00前です。毎日この様に球切れの点検をしてる人がいました!ありがとうm(__)m
平成7年1月15日のPM9:00頃、私は家の前で空を見上げた途端、真南から真北に一本の電光が走った!それが約33時間後に起こるとは予想だにしなかった。あの長い20秒間で沢山の人が人生を変えられてしまった・・・・・。さあ〜明日もガンバルぞ〜!左が2003年1月17日で右が2004年1月17日の撮影です。「阪神淡路大震災1・17のつどい」が営まれた東遊園地では、犠牲者と「震災死」と認定されなかった人の数を合わせた6469本の竹灯ろうが「1・17」を浮かび上がらせた。
メリケンパーク・神戸港震災メモリアルパーク メリケン波止場の崩れ落ちた岸壁を保存しています。
平成7年1月17日、午前5時46分 阪神淡路大震災により、このマリーナ像は倒れ、その際、時計が壊れました。震災の記憶を、永遠にとどめるために、この時計はその時を示しています。神戸市役所南前にて。
阪神・淡路大震災により、この東遊園地周辺は震度7の激震に見舞われ、大きく地盤が動きました。このトレリスも地盤に生じた約60cmの段差によって高さにずれが生じました。復旧にあたっては震災時の激震による、被害の大きさを記憶のとどめるために、その高さの違いをそのまま残しています。 東遊園地の西南隅にあります。
阪神・淡路大震災 慰霊と復興のモニュメント 名称・COSMIC ELEMENTS 基本コンセプト・慰霊 復興 連帯
右手前は「1・17希望の灯り」被災10市10町を巡って運んだ種火と47都道府県から寄せられた種火を一つにして2000年1月17日5時46分に点灯後、燈りつづけています。
ここ東遊園地には他に「ゆがんだ歩道の保存」 植樹「辛夷 友愛」 等が有ります・・・探してみて下さいネ
ありがとう、J_FRIENDS J_FRIENDSの皆様は、CD・コンサートの売り上げの一部を神戸市の子供たちに使ってくださいと、多額の寄付をしてくださいました。その暖かいまごころに対して、神戸市民の感謝の思いを込めて記念植樹を、メンバーの手によりしてくださいました。本当にありがとう御座います。メンバーのご健勝を心からお祈り申し上げます。 Never Ending Spirit
場所は神戸市役所1号館の東北フラワーロード沿いにあります